danapati’s blog

お坊さんのブログ

弘法大師『理趣経開題』翻訳

生き死にの苦しみの河は、
恩と愛によって深まり、

涅槃の山は、福徳と智慧を積んで高くなる。

恩とは、父母等の恩、
愛とは、妻子等への愛のことです。

この恩と愛とは、出家の船を転覆させ、人を世間に引き留め、

人を生き死にの繰り返しに固く結びつけます。

この迷いの道を解かなければ、
欲界などの迷いの世界の輪廻に溺れて、

様々な生き物に生まれ、諸々の苦しみを受けることになります。

父の父、母の母、どこまでも生き死にを繰り返すことは、

河の水がどこまでも続いていくようです。

子子孫孫、たちまちに現れて、一瞬で消え去る様子は、

空の雲が現れては消えるようです。

何度、身体を与えられ、身体を失い、
幾たびも身体を受け、身体を棄てても、

苦しみから逃れることはかないません。

苦しみとは、

生老病死、憂悲、苦悩、愛別、怨憎などの八苦のことです。

この八苦は人の身を苦しめ、仏の妙なる喜びを受けさせません。

もし、仏を信ずる者が、
生き死にの苦の根っこを断ち、
仏の境地に至ろうとするなら、

まず、福徳と智慧を積んで、無上の仏果を目指すべきです。

智慧とは、
写経をし、また、その意味するところを学ぶことです。

また、他人に施す布施などは、
福徳を積むことになります。

この福徳と智慧の、二つの善を修め、

父母や国の恩に報い、

人々ひいてはすべての生き物の幸福をはかるとき、

人は、自他を幸福にする功徳を具え、速やかに仏の大いなる境地に至ることができる。

これをさとりといい、仏といい、

真に恩に報いる者というのです。

今日の施主は、このことをよく理解し、

亡くなられた母上のために『理趣経』などを書写され、

あわせて、その意味を講義する場をも設けられました。

これはまさに菩薩の心。大きな親孝行と言えましょう。

仰ぎ願わくは、
大毘盧遮那如来ともろもろの仏様方、

これを仏の目で見て頂いて、
その神通力で彼らを救いたまえ…

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