生き死にの苦しみの河は、
恩と愛によって深まり、
涅槃の山は、福徳と智慧を積んで高くなる。
恩とは、父母等の恩、
愛とは、妻子等への愛のことです。
この恩と愛とは、出家の船を転覆させ、人を世間に引き留め、
人を生き死にの繰り返しに固く結びつけます。
この迷いの道を解かなければ、
欲界などの迷いの世界の輪廻に溺れて、
様々な生き物に生まれ、諸々の苦しみを受けることになります。
父の父、母の母、どこまでも生き死にを繰り返すことは、
河の水がどこまでも続いていくようです。
子子孫孫、たちまちに現れて、一瞬で消え去る様子は、
空の雲が現れては消えるようです。
何度、身体を与えられ、身体を失い、
幾たびも身体を受け、身体を棄てても、
苦しみから逃れることはかないません。
苦しみとは、
生老病死、憂悲、苦悩、愛別、怨憎などの八苦のことです。
この八苦は人の身を苦しめ、仏の妙なる喜びを受けさせません。
もし、仏を信ずる者が、
生き死にの苦の根っこを断ち、
仏の境地に至ろうとするなら、
まず、福徳と智慧を積んで、無上の仏果を目指すべきです。
智慧とは、
写経をし、また、その意味するところを学ぶことです。
また、他人に施す布施などは、
福徳を積むことになります。
この福徳と智慧の、二つの善を修め、
父母や国の恩に報い、
人々ひいてはすべての生き物の幸福をはかるとき、
人は、自他を幸福にする功徳を具え、速やかに仏の大いなる境地に至ることができる。
これをさとりといい、仏といい、
真に恩に報いる者というのです。
今日の施主は、このことをよく理解し、
亡くなられた母上のために『理趣経』などを書写され、
あわせて、その意味を講義する場をも設けられました。
これはまさに菩薩の心。大きな親孝行と言えましょう。
仰ぎ願わくは、
大毘盧遮那如来ともろもろの仏様方、
これを仏の目で見て頂いて、
その神通力で彼らを救いたまえ…