仏教に入って行けない八つの難というものがあるそうです。
その一つに「世智弁聡(せちべんそう)」というのがあります。
これは、世の中をよく知っていて、器用に生きられる人の方が、世渡りばかりにかまけてしまって、信仰の世界に入って行けないという意味だそうです。
それは大切なことを見逃してしまうこと。
世智は世間智ともいい、世間の智慧も生きていく上で、また人助けの上でも必要です。
でも、若い頃、それがなかったせいで(おかげで?)僕は仏教の色んなことを知る道に入れて、心の深い安心を知りました。
それから、上手く行っているときは、驕り高ぶっちゃうのが人間で、落ち目の時に振り返って色々思うんですよね。
慈悲や畏敬の念の大事さは、自分の人生が上手くいかない時、下り道になったときに思い知らされるものなのではないかな?と思います。
こういうことを知ると、不器用なひとは、意外と仏に近いところにいるのかもしれませんね。