満足なんて仏教的にはおかしいのかも知れない。
永遠のゴールとは、もう何も望むことがなくなった、
仏教の理想、涅槃(ねはん)だけで、
この世の満足は、一時の仮の宿。
どこまで行ってもそれは必要で、昨日満足したらもう満足は要らないなんてことはない。
たとえばプールでクロールするとき、息継ぎはさっきしたからもういいやとはならないように、涅槃以外の目的は、この世での息継ぎみたいなもんと思ってみる。
すると、成功、失敗いろいろあるけれど、
失敗したからといって、次の息継ぎが要らないわけでもないし、
成功したからといってそれで終わりでもない。
すべての欲望から卒業するその日まで、僕はちょっとだけ気を楽にして、この世を楽しんでいよう。
その間、自分の住処(すみか)を快適に保つことにとりくみながら。