甘い果汁がしたたるパイナップルを思い浮かべてみてください。
思い浮かべられましたか?
それから、あなたは川で泳いだことありますか?
河岸で岩とかにしがみついてて、
向こう岸まで渡りたいんだけど、
最初に手を離すときは、
ほんとに怖くて、
手を離すには、思い切りがすごく必要で、
手を離しちゃうともうだめかも、なんて感じます。
でも、
いったん、手を離すと、
手を離す前には想像できなかった、
自分の内側からの未知なるパワーが湧いてきて、
意外に動けます。
というか、動かずにはいられません。
そして、今まで疲れてて、力が出ないと感じていたかもしれませんが、
それは、それまでは、しんどいその場所にしがみつくのに力を使って、消耗し続けてたので、
離れると、その分の力も、動くことに使えるってのもあります。
そこは、しがみついてた間は、あまり気付けないポイントですね。
手を離すと、
意外に足がつくような浅いところもあったり、
かと思えば、急に深くて焦ったりしながら、
必死で泳いで反対岸へ向かいます。
向こう岸について振り返ると、
よく渡れたなって思うものです。
意外に自分はできるんだなって感じます。
さて、波羅蜜多(はらみた)って聞いたことあります?
向こう岸に渡るって意味の仏教語なんですけど、
仏教の修行も最初は怖いんです。
でも「えいや!」って流れに飛び込んで、
ゆだねてみると、自分の中から、必死さが出てきて、
気づくと何かが達成できてたりする。
インド語でパーラミターと言うのを、
中国人は波羅蜜多(はらみた)と漢字を当てました。
これは単なる音写(たとえば四露死苦には漢字の意味はあんまり関係ないですよね)ですが、
「波羅」とはパイナップルのことで、
「蜜多」は甘い果汁が多いこと。
「波羅蜜多」
この言葉を聴くと、中国人は蜜の多いパイナップルを思い浮かべるのだとか。
と、同時に向こう岸に渡り終えて、
ほっと安堵する仏の気持ちが重なってるのかも。
インドのお経を翻訳した昔の中国人は、
そんな遊び心をもって翻訳したのかもしれませんね。