今ここでやってたことを少し説明しますね?
ここではまず、良いとか悪いとかの日常の気持ちを離れて、
すべてが融けあった気持ちになります。
その上で火を焚いて瞑想していくんです。
少し考えてみて欲しいんですが、
人生には良いことと悪いことがあって、
良いことだけしか受け入れない心で日々を送っていると、いつも心のどこかで恐れていて、真に落ち着くということは、一生のうちでとても少ないのではないでしょうか?
そういう時、この瞑想をすると、深い安らぎが与えられます。
そして、この瞑想の最後には、自分と関係のある人たちの、健康とか幸福を祈るんです。
私の友人の友人が先週、交通事故でいまだに意識不明でいます。
それから96歳の友人は病気が治るように祈ってくれと私に言ってきました。
その時、良いことのみを願う神経質な心で祈るのと、深い安らぎを持ちつつ祈るのとでは何が違うでしょう?
(願いが叶うんですか?←通訳者)
私たちがもし全力で願ったら願わないよりも様々なことは叶うでしょう。
人間の潜在能力はまだまだ計り知れません。
しかし、すべての願いが叶うかどうかは分からないんです。そうですよね?
私たちは生まれたらいずれ亡くなる宿命にあります。
(うんうん)
ただし、
この後、電話で祈ったよと伝えようと思うんですが、
私は、その時、私と接するその人たちが、
私の落ち着きを通して、安らぎを得られたらなと思うんです。
厳しいこの世界で、一人ではどうしても安らぐことが出来ない時があります。
そんな時は、一人一人がそれぞれに人を安心させられる人となって、お互いにカバーしあって欲しいなと思うんです。
私の話はこれでおしまいです。
本日は遠いところをありがとうございました。
(拍手起こる)
(質問)
「空」とはすべてが融け合うことですか?
そうですが、風船を思い浮かべてください。
世界はもともと融け合っているのに、私たちの頭の中には考えという風船がたくさんあって、世界にその膜でいっぱい境界線を作ってるんです。
その頭の中の風船を割るのが「空」ですね。
(腑に落ちたようでパートナーに通訳している)
それと、その融け合った世界を知った上で、
風船を作っていくこと。
(え!?風船は作っていいんですか?)
はい。
「空」を知った上で風船を作って生きて行ったらいいんです。
融け合ってる世界を知らず、
風船に執われることが問題なだけです。
(おー!ありがとうございました)