『即身成仏義』翻訳
一般仏教では、「地水火風空」は元素(ものの素)だっていうけど、
真言密教ではそれは仏の願いが具現化したものだとするんだ。
地水火風空は心に映り、ものは心、心はもの。
ものと心は障りなくさまたげなく融け合っている。
心の中に見られるものは有り、
見るものと見られるものの区別は無い。
そもそも、僕たちが名前を付ける前の世界に「造った、造られた」などあるだろうか
「造った、造られた」と一応の区別を言ったとしても、それらはほんとのところ、仏のはたらきを指し示す、秘密の暗号として受け取って欲しい。
言葉の浅い意味に執らわれて、誤ってはならないよ。
このように、地水火風空と心によって「出来ている」すべての存在も、
さわりなくさまたげなく融け合って、お互いに入り混じり合い、個体のそのままに永遠の真実として生きている。
これを、地水火風空と心はさまたげなく融け合って、常に結びつき合っているというんだ。
(原文 六大無礙にして常に瑜伽なり)
「さまたげがない」とは、自在に入り混じり合うことで、それが「常に」とは、入り混じり合ったままずっと続いてくってこと。
僕たちは心も身体も、いつも世界とぴったりと添い、結びついている。
世界はそのように、個々のものがぴったりと寄り添い合い、
つながり合い、一緒に揺れ動くことで出来上がっている。
これを「即」という。
即身成仏の即とは、そういうことなんだ。
仏と仏じゃないものを分ける細かい見方もできるし、
仏じゃないものも、すべて仏だと知る大きな生き方もあるんだ。
大きな生き方を選んだ時には、この「即」のために、あなたはもう仏なんだ。
選ばなくても、ね。
『即身成仏義』原文
もろもろの顕教の中には四大等をもつて非情となし、密教にはすなわちこれを説いて如来の三摩耶身となす。
四大等心大を離れず、心色異なりといえども、その性すなわち同なり。色すなわち心、心すなわち色、無障無礙なり。
智すなわち境、境すなわち智、智すなわち理、理すなわち智、無礙自在なり。能所の二生ありといえども、すべて能所を絶せり。法爾の道理に何の造作かあらん。能所等の名はみなこれ密号なり。常途浅略の義を執して種種の戯論をなすべからず。
かくのごとくの六大法界体性所成の身は、無障無礙にして互相に渉入相応し、常住不変にして同じく実際に住せり。
故に頌に 六大無礙にして常に瑜伽なりという。 無礙とは渉入自在の義なり。 常とは不動、不壊等の義なり。瑜伽とは翻じて相応という。相応渉入はすなわちこれ即の義なり。