今回はちょっと難しいけど僕自身のメモとして。
弘法大師の著作に『声字実相義』があります。
「言葉(声)や文字は真実そのものである」
このようなことが書いてあります。
説明します。
まず、真実に2面あります。
向こう側とこっち側の2面です。
心、はこっち側の真実です。
心はつや玉(『仏の心がわかる本』参照)で、この世の真相はそこに映ります。
映ったものに言葉で名前を付けます。
「認識」が起こる時、これらはすべて、つや玉上の出来事です。
ではもう一つの真実、向こう側とは?
心に映る「元」です。
それもどうやっても捉えられません。
(「向こう側:先験」と「こっち側:経験」とも言います)
こっち側の心には言葉のラベルがペタペタと貼られています。
それらの言葉は、貼るところがあるから貼れるわけです。つまり「真実」に貼られているわけです。
そして、その言葉や文字自体も真実のわが心から生まれてきたものです。
それで、
言葉が文字が真実そのものであるということが、証明されました。
次に、
こっち側の心は、向こう側が捉えられないことを証明しています。
未経験のこと、経験する前の真実も、経験してしまえばすべてこっち側の心になってしまう。
だから、つや玉しか自分たちは理解できない。そういう意味で世界はつや玉。
向こう側の真実の世界は、こっちに「伝えてきている」、それが説法で、慈悲。
こっちがそれをつや玉にそのまんま映していることが智慧です。
慈悲と智慧は仏。
真実の2面で大日如来です。