今日はジャッジの弊害について、思うところを書いてみます。
まずジャッジとは何かを書きます。
「自分は〜なんだ、ダメだな」
「自分は〜なんだ、最高だな」
これがジャッジです。
これらのジャッジは、言わばあなたを「走らせる」飴と鞭となっています。
良いも悪いも、自分の中で鞭を入れているんですね。
それに対して、
「自分は〜なんだ」で止めるとジャッジしていません。
これは、自分(の現状)を認めることです。
さて、ここで考えてみて欲しいのですが、
競馬などでウマに鞭を入れるとウマは加速します。
もし、ウマにそんな勢いで一生鞭を入れていたらどうなるでしょう?
もちろん一生ももたず、ウマは泡を吹いて倒れ、悪くすれば死んでしまうでしょう。
自分や人をジャッジするというのは、この鞭にあたります。
鞭をいれて加速ばかりするのは、息継ぎ無しでプールを泳ぐような生き方です。
ジャッジを緩めると、あなたの中のウマは、楽しそうに歩くようになります。
元気が出てきます。
飴と鞭の時のように、急加速もしませんが、急に減速もしません。
今、血糖値の乱高下は良くないと言われますが、それに似ています。
ジャッジをやめることは、急ぐことには適していません。
ですが、
いつもいつも、飴と鞭、ウマに鞭を入れる生き方で疲弊していたあなたは、幸せを感じるでしょう。
その幸せな状態の上で、急ぐ必要があればいそげばいいんです。
ジャッジをやめると、自分の人生を自分で決められます。