今日の護摩のお話
いま1時間ほど、ここで皆さんのことをお祈りさせていただきました。
ありがたいと思ったひとも、いつ終わるんやろって思ったひともいるでしょうね。
(笑)
えー、人間と言うものは、人を恨んだり、人を怒ったりしているよりも、人の幸せを祈っている方が、自分自身が幸せになるそうです。
私が今日の護摩の中で、どんなふうに祈ってるか言うたら、やっぱり、皆さんが幸せになるように祈ってる。
それから、この、
(本尊さんを仰ぎ見て)
前におられる大きい仏さんと自分が、一心同体やっていうことを、みんなが気がつくようにしてくださいと仏様に祈ってる。
一口に幸せと言ってもいろいろありますね。
健康で病気がない。
想った人と一緒に居られる。
お金に困らない、人に困らない。
そんな幸せの中でもっとも上の、最上の幸せが何かというと、
真言宗では、
皆さんとこの仏さんとが、一心同体やということを最上とするんです。
仏さんと一心同体やって言うのは、自分らが宇宙と同じ、大きい宇宙と等しい存在だと言うことなんです。
ポンとそんなこと言われても、
なんのことやらわからんと思います。
(うんうん)
それでは、それが分かるように、こんなお話をしてみましょう。
私たちは、人に親切にすることができますね。
それは微笑むだけでもできることですね。
力の入った大きな親切はえてして「甘やかし」になってしまうこともありますから、そんな小さな親切こそ、日常生活の上では大事なことではないか、そんな気が私はしています。
さてもし、今日あなたが誰かに微笑んだ、親切にした。
もしくは嫌な顔で誰かに接した。
された人はその日一日、ご機嫌になって、または不機嫌になって、
またそれを誰かに、同じようにしていった。
そしてまた、された人が他の人に…
また、された人は他の人に…。
…皆さん、このように考えると、1000年後にはどのようになっているでしょうか?
わたしはもしかしたら、小さな親切がめぐりめぐって、
1000年後には、世界大戦をも止めることがあるんじゃないかと思うんです。
…私たちは自分を小さな存在だと思っています。そうでしょう?
取るに足らない小さな自分が、取るに足らない小さな行いをしていると思っています。
それで時に気持ちが落ち込んだり、進むべき方向を見失ったりして、ある時こうしてお寺に参って、仏さんと向き合うわけです。
自分を見つめる時間を取るわけです。
しかし、さっきのように考えてみると、
ちっぽけな我々の行いが、小さな親切と小さな不親切が、1000年も経てばものすごい開きになるわけです。
真言宗の教え、「あなたは仏さんと一緒なんだよ、あなたは宇宙と等しいんだよ」
とは、こういうことを言うんです。
私たちは決して、ただのこのちっぽけな身体だけの小さな小さな存在なのではありません。
今ここにいる私たちは時間と空間を超えて、全宇宙の歴史に常につながっているんです。
それぞれがこの宇宙の主人公として、
それぞれがこの宇宙を作っています。
私たちがこうして護摩の火を焚いて皆さんのことを祈る、仏を拝むということは、
皆さんのそのような偉大な力、宝を引き出す、気づいてもらうためにしています。
もう一度言いますが、皆さんは宇宙をも変える力を当たり前に持っているんです。
当たり前に授けられているんです。
そういう宇宙に今あなたは参加しているんです。
人間はどうしても、悪いことします。
どうしても生命をいただいて生きています。
でもだからこそ、ええことせなあかん。
あなたは宇宙を汚しただけの人生でいいですか?
それとも宇宙の主人公として、この世界を浄化した英雄の一人として、今回の人生を過ごしますか?
それは、あなたの小さな、ひとつの言動にかかっています。
今日は、そんな
「目立たない小さな親切、でもそれが大きな親切」
と言うお話をお土産にして、どうかご無事におうちへ帰ってください。
それでは私の護摩を終わります。本日はありがとうございました。