(前の記事とセットです)
弘法大師の教えを噛み砕きたい。
私はいつもそう思っております。
今回は皆が仏であることについて。
少々、衝撃的かもしれませんので、各自、自己責任でお気をつけくださいね。
まず今日のテーマ、【皆が仏である】という、その根拠から。
えー、良く聞いてください。
「欠点、短所、汚点、煩悩」
これらを問題視することが、すでに煩悩にまみれた目線なので、
【まず初めにそんな見方をやめます!】
何か、短所とか問題点とかを、そうやって捉えることをやめたら、
仏の出来上がりです。
まずここを、今からしばらく時間をとりますからよく味わいましょう。
欠点や煩悩を問題としてジャッジしません。差異によって、一般人と仏を区別しません。
…そこの人、すぐジャッジにもどりませんよ?
(…)
えー、さて、
仏の世界に入ることを「出世間」といいますが、
世間を飛び出した境地を、少しは味わって頂けたでしょうか?そうであれば幸いです。
では、早速ですが、次に参りたいと思います。
さっきのはものごとを分別しない智慧、無分別の智慧と言います。
ですが、このままでは世間にお帰りになる皆さんにとっては非常に都合が悪い。
仏さんとしても片手落ち。
すぐそこの赤信号に無分別の智慧で突っ込んだら、いくらお釈迦さんでも車にはねられてお釈迦になってしまいますからね。
そこで、世間に帰る前に世間の知恵をもう一度身につけます。
皆さんはもう仏様ですから(いえ、もう死んじゃったっていう意味ではありませんよ!?)
一度自分たちが仏様だって体験していただいたあなた達は、もう無分別の智慧を知っています。
今日ここに来るまではそれを知らなかった。
今までは世間の知恵だけを持っていた。
(はぁ、それももってなかった?お悔やみを申し上げます)
しかし、今日からのあなた方は違います!
無分別の智慧を、ありがたいことに先ほど仏様から頂いて、無分別を知った上での世間の智慧、
大事なんでもう一回言いますよ?【無分別を知った上での世間の智慧】をこれから発揮するんです。
なんのために?
【まだ無分別を知らない人に教えてあげて下さい。】
分別までならいいんですけどねえ、人間はあんまり分別くさくなっちゃいかんのです。
今の世にくさいほどありすぎるのは分別。さっぱり足りないのは無分別。
無分別を知る人はね【優しいんです】。
そして実はね、【あなたがこれから発揮するその優しさこそが、肌身に感じられる今を生きる仏様】なんです。
今言うたこれこそが仏の智慧と慈悲なんじゃなあ。
ええですか?
これからは、あなたを通してあなたが仏様に会い、誰かが仏様を感じるんです。
私は皆さんに大いに期待してます。
もちろん私も大いに精進します。
ともにこの世を浄土にしていきましょう。
無分別がよう分からんようになったらまたここに来てください。
一緒にやりましょう!
今日は本当に来てくれてありがとうございました。
皆さんの仏様に合掌。