「こころ」はだれにも見えないけれど、
「こころづかい」は見えるっていう、
素敵な投稿を見かけました。
たしかに「こころ」は見えないし、
「こころ」って何?って考えても、
「こころ」って、捉えどころがないもの。
真言宗には1200年以上の昔から、捉えどころのない「こころ」を満月として観想(かんそう)する「満月の瞑想」が伝わっています。
それを「がちりんかん」といいます。
中秋の名月を思い浮かべてもらえばいいのですが、
すみわたる空の満月を眺めているように、すっきりとした気持ちになれる、素敵な瞑想なんですね。
これはお坊さんじゃなくても習ってやっていい瞑想なので僕は知り合いにはおすすめしています。
ひとつ、解説をしとくなら、
月は、暗く欠けて見えるときでも、雲がかかったときでも、見えてないだけで、実はいつもまんまる。
私たちは自分たちが、暗く欠けていると思うかもしれないけど、
実は、その正体はいつも円満な仏さまなんです。
そういうことも教えてくれている瞑想なんですよ〜。