少し昔に『袈裟の研究』という、禅宗の偉いひとが書いた本があるんですが、
(この本は袈裟の作り方、縫い方や、袈裟の歴史を書いてる本です)
今日はその序文から、ちょっと長いですが、僕の面白いと思ったところをご紹介したいと思います。
ここにひとから何んといわれても怒らぬ、という人があります。
われわれ 一応えらい人だと感心するのですが、その人が、その理由として「怒ると損するから。」とつけ加えた場合、われわれとしてはあまり感心できない気がするにちがいありません。
その人の怒らないのは、たんなる欲張り根性でしかないからです。
仏教の十重禁戒(戒律)のうちにも不瞋恚(ふしんに:怒らない)戒というのがありますが、
この不瞋恚戒は、じつは荘厳(しょうごん:厳かに飾られたさま)された真実の世界には、「怒るべき何ものもない」ということなのであり、
この坐り(すわり:ただ座る、その心に住む。座禅すること)を規準として、これ(この心)から見守られて生きようというのが、不瞋恚戒を通してのわれわれの宗教生活でなければなりません。
損をしまいという欲張り根性のゆえに怒らないでいるのは、たとえ怒らないでも、宗教の話にはならないでしょう。
その点、宗教はまったく態度ひとつが問題です。
(見せかけ上は同じことをしているようで、)態度ひとつで、あらゆるものの意味が、まったくガラリとちがってしまうからです。
以上、内山興正老師 ( )内、ブログ筆者 補
…表面は同じでも、中を見ていくと違うことは、いつでも有ることですね。
密教とは、秘密という外から見ても分からないという意味ですが、密教は中まで充実して、密度の高い教えだという解釈もできます。
中まで密(みつ)に詰まったソフトクリームやたい焼きのように、しっかり詰まってる方が嬉しいと思った、結局、欲張り根性の僕でした。