前回のつづきですが、
前回は、弘法大師は心全体を「無我の大我」と呼んだというところまで話しました。
無我の大我とは、大日如来のことです。
大日如来とは、
「すべてを照らすもの」という意味です。
もとは「マハーヴァイローチャナ」というインド語です。(奈良の東大寺、毘盧舎那仏はこの、「ヴァイローチャナ」と同じ言葉です。)
「すべてを照らす」とは、
要するに、あなたの心がすべてを照らし見ていることです。
照らし見るとは、明らかに見ること。
前回同様、海と波の例え話にしますが、
波を景色として「見ている」分には、よい気分。
でも、
波に巻き込まれたら、引き込まれたら?
よい気分どころではありませんね?
不安や恐れを緩和するには、
波に巻き込まれず引き込まれず、
「照らし見る」ことが大切だということです。
大日如来とは、すべてを映しとっているあなたの心のことですから、心配しなくても世界をいつも照らし見てくれています。
あとはあなたが、そこに「映った」波に、
引き込まれず、巻き込まれず、
喜びの方を選ぶことです。