(スマホの翻訳アプリを使って)少し説明してみますね。
私たちは食べ物やお香をブッダにお供えします。
(シキミの葉やお香、お米、野菜などを皆に見せる)
これはなんだと思いますか?
(人参!)
そうですね。あなたの国の人参と同じですか?
(うんうん)
こうして毎日、お供えをして手を合わせていますと、
ふと気づくときがあるんですね。
私がお供えをするより前に沢山の恵みを頂いているじゃないか、と。
どんなものを頂いていると思いますか?
(食べ物)
フード。そうですね!
(酒!)
確かに!笑
毎日ここで座って拝んでいると、
食べ物や空気に支えられて今日も健康で拝むことが出来ているんだなーって、気づくことがあるんですね。
これは、私がそこの彼くらい若かった頃のお話なんですが、
若かった私は、その時、
「どうして仏さまなんかに手を合わせないといけないんだ?」と、疑問に思いながらお堂の掃除をしていました。
(掃除の真似をしてみせる)
すると、ふと前を見ると、
仏像が先に、もうすでに私に向かって手を合わせてくれていることに気づいたんですね。
私はその時、結構反省しまして、
自然とその仏さまに向かって手を合わせてしまいました。
それで私はそれまでよりも少し真面目なお坊さんになったんですね。
(笑いが起こる)
みなさんは曼荼羅を知っていますか?
(うんうん)
曼荼羅の大勢の仏さまたちが、みんなでこちらに手を合わせてくれてるんですね。
私たちは気づくと気づかないとに関わらず、
多くを与えられて生きています。
それでも生きていると悩んだりしますよね。
この、悩みすぎることは、生きる邪魔になることがしばしばあります。
ここの仏さまは怖い顔をしているのですが、
この仏さまは私たちに「もう悩むなよ」って言ってるんですよ。
この怖い顔は「もう悩まない」という決意の現れなんですね。
曼荼羅には優しいお顔の仏さまも大勢おられますが、この怖いお顔も、私たちが生きる上でのひとつのお手本なんですよ。
私の言ってること大体伝わりましたでしょうか笑
(うんうん笑)
これが、毎日暑くても火を焚いてお供えをして拝んでる一つの理由なんですね。
それでは、私の話はこれで終わりです。
今日はどうも有り難うございました。
(拍手)