本当に唐突ですが、皆さんはブッダです。
どういうことか?
ちょっと短くまとめるのは難しいかもしれませんが、今からその証明をしてみせましょう。
その証明をするには、
まず、どうしても以下の「海」の説明を欠くことができません。
これまた突然で恐縮ですが、
宇宙に浮かぶ、水の惑星(ほし)を思い浮かべて下さい。
その大海原には無数の波が生じています。
いいですか?
思い浮かべられましたでしょうか?
この海(水の惑星)は、私たちの心を表しています。
どういうことか?
私たちの心に浮かんでくる、様々な思いは「波」です。
そして、常にそこに悠々と「在る」のは、
その波が集まった「海」です。
私たちの心そのものは、この「海」にあたります。
いいですか?
「海でない波はひとつもありません。」
そして、「波」が集まって一つの大きな「海」です。
仏教では「波」を気にしすぎず、
この「海」の心に帰ることが大事だと言います。
そして、仏教ではこの「海」の心をブッダと呼ぶんです。
皆さんは今は「海のブッダ」と覚えておいてください。
さて前に、私たちの心に浮かんでくる様々な思いは「波」だと言いましたよね。
では?
「波は海の一部です。」
「波は波のままで海の一部です。」
そして、これらの例え話は、
「心」を表しているとも言いました。
ということは、
様々な善悪、優劣の感情や考えが、浮かんできても、
それらは「心」の「波」なので、
心(の本体)と様々な感情などは、
「ひとつ」なんです。
つまり、それらを無くさないでも、
「海」の心に帰れば、
それを思い出せば、
それらの「波」は「海のブッダ」そのものだと気付くんです。
つまり、「感情」、「考え」、
果てはあらゆる「出来事」や、好いたあの人も、
憎いアイツさえも、
およそ、心に浮かんだものすべて、心に映ったものすべては、
あなたの心、「海のブッダ」なんです。
この「海のブッダ」は皆さん全員が持っています。
この「海」をいつも忘れなかった人を歴史上、ブッダと呼びました。
「波」を「海」と知る人をブッダといいます。
そして、本人は知らなくても、ブッダから見るとその人もブッダなんです。
難しかったでしょうか?
これが日本に伝わる仏教の真髄なんです。
いかがだったでしょう?
今日言ったこと、なんども味わっていただければ幸いです。
それではまた。