寒いですね。
真言宗の煩悩の見方があります。
真言宗は他の仏教とちょっと違います。
それは、
「それを煩悩と見ることがすでに煩悩」
ここがダメ、あそこがダメと見る、
その見方がすでに煩悩に毒された我々の見方だということなんです。
じゃあ仏さんはどう見るか。
ことさらに悪い煩悩とも見ず、
煩悩でないとも思わず、
問題になればその場では改め、
問題にならなければ煩悩と一般に言われるものでも「活用」する。
活かして用いるんですね。
分かりにくいですか?
じゃあ、ここにコップ一杯の水があるとしましょう。
砂漠では恵みの水です。
でも、陸の生き物は水に溺れて死んでしまうこともあります。
水に善悪はありません。
出会い方、マッチングが悪かっただけ。
距離の取り方を誤っただけ。
なので、何かを強く憎んだりすることはないんです。
運用の仕方を知らなかったから、
物事は害毒となるみたい。
ではどうするのが正解の接し方なんでしょう?
それは個々の状況、個性によりますので、
個々に見つけるしかないのかもしれません。
言葉で一つの正解を言うと、それだけが善だと思って害がありそうです。
絶対の善が物事に付随してあるのではなく、
配置、距離、マッチングにより、
善悪が生まれます。
だからこそ、
心を平常ニュートラルにしとくことが大事なんです。
長くなるとアレなんで終わりにしますが、
この見方は煩悩のみではなく、
どんなことにも適用できるので、
皆さん、日常で是非この仏の見方を活用してみてくださいな。