さとりとは、
「そうなんだね」と
手を当てること。
これ、僕が今思ってる最強のさとり。
どういうことかっていうと、
さとりを開くと、すごいさとった「しるし」があるって想像してる人と、
いや、さとっても何もない、そのままの日常が続いていくって言う人とに、昔から分かれるみたいなんだ。
多くの人は、前者のようなイメージを持ってるだろうし、
僕も若い頃はそれを目指して頑張るのが修行だと思ってた。
でも、知れば知るほど、
どうも後者のようなんだよね。
仏教の開祖、お釈迦さんは、
ざっくり言っちゃえば、
死ぬのが怖くて修行して克服しようとした結果、
「あ、やっぱり生まれてきた者は亡くなるわ」
って思ったんだ。
それで、さとりが開けたんだけど、
これって、最初に言った、
「あ、そうなんだね」
だと思うんだ。
みんな、なんだそんなことと思うかもしれないけど、
手を当てるのは親しい人にしか出来ないから、
ためしにこの声がけだけでも日常でやってみると、ものすごいことが起きるかもよ。
コツは、「どうして何々なの?」とかの追求する言葉を、
「そうなんだね」「あなたはそうなんだね」
に変えてみること。
あ、あと、言う時に、愛情はできるだけ込めた方が効果が大きいみたい。
練習で、
自分に手を当てて、「そうなんだね」ってつぶやいてみるのもいいと思う。
僕は最初そうやってみたよ。
長年解けなくてもう自分の一部になってしまって気づきにくい緊張感とか、吐き出せなかったせいで溜まってて、やり場のない怒りとかが、声がけを続けるうちにゆるんだり、浄化されたりしたんだ。
さとりって、実現不可能なほど難しいことと、一般に思われてると思うんだけど、
実は難しいと思われてる理由って、
単に探すところを間違ってたから難しいんじゃないかなと思う。
なぞなぞとかで、
えっ、そんなこと!?って答えあるじゃない?
まだ信用できないって顔をしてるそこのあなた。
あなたはそうなんだね。
これは、特に僕に足りなかったから、目からウロコだっただけなのかもしれないけど、、
でも、だまされたと思って一回やってみてね。
あ、そうそう。
お釈迦さんは弟子が亡くなったことに対して、淋しくてたまらないとも言ったそうだよ。
この世のものは何一つ永遠じゃないって分かって、さとりを開いたからといって、悲しみや淋しさを感じないわけじゃないんだね。