お山は下から上ってくると、
気温が5度ほど違います。
それで桜の開花も半月ほど遅れまして、
今が満開、いえもう散り始めているのもありますね。
そんな寒いお山ですが、
この時期、こうして護摩の火を焚くと、暖かくなってちょうどいいですね。
(笑い起こる)
これが夏だと、大変です。
我々はこれだけ重ね着してますからね。
さて、このように怖いお顔のお不動さんの前でお護摩を焚きますと、
自然と自分のやった悪いことが反省されてまいります。
私たちは煩悩を持っていますから、長い人生を歩んでいると、ついつい悪い方へと足を踏み外してしまうものです。
そんなとき、怖いお顔でお不動さんが叱ってくれる、監督してくれ、導いてくださる。
すると、自分が気づかず悪い方へ行ってることにハッと気づかされるときがある。
ここへ座ると、私は反省させられるんですね。
この反省を、仏教では「ざんげ」と言います。
反省や懺悔というのは、自分を振り返って、
気づき改めることであって、
自分を責めていじめる必要はないんですね。
「ざんげ」は自分を責めて落ち込むことじゃないんですよ。
このお山に来られて、綺麗な桜やお寺を見る、それも大変結構なことですが、
あわせて、この時間を反省、懺悔の時にもする。
そのようにお参りされるとなお一層よいのかなと思います。
私は率先して護摩行で反省しますからね。
今日は遠いところをお参り下さって、
まことにありがとうございました。
どうぞお気をつけてお帰りくださいね。
これで失礼します。