実はお布施は料金やお礼ではない。
お釈迦さんは、対価やお礼は決して受け取らなかったという。
お布施とは、自己中心的なものの見方になっていることから抜け出るために、自分のためにする施し。
自分だけが救われたくても、救われにくいのがこの世の仕組み。
自他ともによくなろうとする人は、運がいい。
お布施とは、「自分だけ」の視野を、外へ広げること。
不思議に思うかもしれないが、やってみると分かる。与えることは自身のため。
情けは人の為ならず。
本当は、お金が無いなら大根一本でもいい。できる善行でいい。
無財の七施といって、お金がなくとも出来る布施もある。気になったら調べてみて欲しい。
微笑むとか、席を譲るとかも布施なんだ。
優しい言葉をかけるとか、優しいまなざしを向けるというのもある。
このように、布施は無理を重ねてするようなものじゃない。
だから、お布施に相場や定価があるなんてことは、世の便宜のためで、その方がみんな煩わしい判断をしなくて済むからだ。
お布施の本来の目的は、執着を減らすため。布施行という修行なんだ。
この正論が説得力を持つかどうかは、布施を受ける側の人格によるだろうね。