嫌なことを避け、
好きなものごとを追い求める。
結構なことですが、
僕は気付くと、
嫌なことの無い「未来」へ、
好きなものを手に入れた「未来」へと、
いつも追い求め、
いつも恋い焦がれ、
いつも憧れています。
それはいつも、不満足な「今」から逃げているかのようです。
きっとみんなも同じなんじゃないでしょうか?
僕たちはいつも、先へ先へと気持ちが焦ってる。
例えば食べ物を手に入れないと生物は生きていけませんから、本能的にそれは当然なんです。
しかし、手に入れた喜びも、じきに色褪せてしまい、次の喜びが欲しくなる。
これもまた、みなさんがうなづかれるところではないでしょうか。
手に入れても、また次が欲しくなる。繰り返しです。
嫌なことを避けられると、ホッと安堵しますが、つかの間安心して、これもまた繰り返しです。
最近思うのですが、こんな自分に気づいてるほうが、心にゆとりができるようです。
嫌なことを避け、好きなことを追い求めるのは生きる目的ではなく、生きる手段です。
では、生きる目的とは?
僕はゆとりや余裕の中で幸せを感じることじゃないかと思っています。
何かを手に入れることが最高の目的であれば、手に入らないことは失敗と感じるでしょう。
しかし、仮に、ゆとりや余裕を(できるだけ)持つことを最高の目的として、設定してみましょう。
「無限に」何かを追い求め、寿命が尽きるまでそれを繰り返すことは、僕たちからゆとりや余裕を無くしているような気がします。
追い求め、手に入れることに満足や終わりが無いのであれば、
終わりのないことに気づき、
ゆとりや余裕の価値も知ってると、
心は安定しやすくなる気がします。
僕らはすでにテレビ、スマホ、車、安全な街、色んな高価なものを持っています。
「ないものねだり」で人類の文明は進歩してきました。
そこへ「足るを知る」を付け加えるのはなかなか難しいですが、
私たちがほんとうに欲しいのは、ゆとりや余裕だとしたら、
追い求めることには「限り」がないことを知り、すこし落ち着く必要を感じます。