おはようございます。
仏教が言っている事、
それは一貫して、
「不確かなものを頼らないこと。」
僕は大地震の時、地面がトランポリンのように揺れて、とても怖くて、
そのとき、地面だって確固たるものじゃないんだってびっくりしました。
「頼るな、依存するな」じゃなく、
「それはほんとに確かなものかい?」
この問いかけが仏教的です。
不確かなものを確かだと思って頼りにしていると、期待が裏切られたときにショックを受けます。
確かなものを頼るに越したことはありませんね。
ではさて、どんなものがこの世で確かなんでしょう?
諸行無常といいます。
この世のすべては移り変わるという意味です。
移り変わるから、変わらない愛を誓います。
この世で最も動かないと、ぼくが思っていた地面ですら、じつは動いています。
それを思うと、
人の心なんていつも移り変わっても仕方がないのかもしれません。
人参が明日きゅうりになるようなことはありませんから、
短いスパンでみると、少なくとも人参は人参だと思ってよさそうです。
長いスパンでみると、三つ子の魂百までといいますし、一定の信頼をおける人はいるでしょう。
しかし、仏教はもっと長いスパンの話をしてるんじゃないでしょうか?
人参はそのまま放っておけば、腐りますし、我々がこうして考えられるのも生命があるから。
生まれて死ぬまでの一生か、それ以上の長い目で見ること、仏のスパンで眺めてブッダは依存することをやめました。
なかなかそんな視野では生きられませんが、
もしあなたが今、苦しいこと、思い通りにならないことがあるのだとしたら、いちど鷹や鷲が大空に舞い上がって下界を眺めるように見ると、
少し違った感じを受けるのではないでしょうか。
大空に舞い上がるみたいに、少し離れて見るのを「空(くう)の見方」といいます。
広い視野、長い目で見て、
さあ、何が確かでしょうか?