判断が早い人は、判断が遅い人のことを逃げてるだけと感じるかもしれない。
たしかにそういう人もいるだろう。
でも中にはそうではない人もいるし、
判断が早い人の中にも、自分を見つめたり、熟考することから逃げてる場合だってあるのだ。
では、話がややこしくなるので「逃げてない人たち」の中に限って、両者の利点を考えてみよう。
まず、
判断が早い人はどうだろう?
判断が早いひとは、その場での善悪をわりと早めに判断する。
善悪をキッパリ分けることは、ときに荒削りだが、忙しい中で判断が早い、機敏なところに利点があると言えるだろう。
なぜなら、現代はとても忙しいからだ。
では判断が遅い人は?
判断が遅い人は決めた責任を回避したい場合を除くと、すぐに善悪を決めず、色んなケースを想定して考えているのだ。
善悪を慎重に見定めることには、長い目で見た場合の善を探し当てるところに、その利点があるだろう。
すべての考え得るケースを言葉にしていると、膨大な文章になってしまうので、以上の二つをあげて代表としておこう。
さて、本来その二つは喧嘩するようなものではなく、
一段高いところから見ると、
どちらも幸せへと向かおうとしている。
例えば、誰も自分は右脳しか要らないとか、左脳しか要らないとは言わないと思うが、
早い人と遅い人の場合も、
両方の考え方が利点を認めあい手を取り合って、出番を譲り合って、
お互い共通の目標である、持続可能な幸せを作っていくのが正解と仏教を学んだ僕は思っている。