皆んなすでに仏様。
お釈迦さまと僕は違うけど、
どっちも海の波だとしたら、
海が仏だとしたら、
皆んなすでに仏様。
「仏」をサンスクリット語で薄伽梵(ばかぼん)といいます。
目標を達成して安心。
気持ちが通じて安心。
色んな安心があると思いますが、
日本に伝わる仏教では、
自分に安心できる道を説きます。
皆んなすでに仏様だって言うんです。
どういうことなんだろう?
話に聞くお釈迦さまと自分を比べると、
どう考えても自分とは違うような。
僕は「皆んな仏」とはどういうことなのか、
お経の意味を調べ、
色んな仮説を立てて、
理解しようとしてきました。
その中で最有力候補の仮説は、
「海と波」説です。
仏教の仏身観という教えを噛み砕いたものになります。
つまり、
お釈迦さまを一つの海の「波」と見ます。
それから、自分自身もやっぱり「波」と見るんです。
すると、お釈迦さまは立派な「波」だなと思います。そして、自分はちっちゃな「波」。
もちろん、違う波だけど、
海として見たらどうでしょう…?