今日は玄人向きです。
一般の方のためにも参考まで。
神仏を拝むときに、自己を忘れることの大切さを言ってます。
原文をかみ砕いてみましたがこれでも難しいですよね。
まったく恐れのない境地とは、
仏を拝む者が、
曼荼羅の中の本尊に帰依し、
本尊を拝むとき、
最初は本尊を、客観、自分と向かい合う外に見、
次に主観、自分の内側に見、
ついに主客を絶し、
本尊と一体となる過程で恐怖心を失くすのである。
つまり、もう一度言うと、
はじめは本尊を心の外に見る。
しかも、姿なくとらえどころないものと観る、空の観に住し、
その本尊に対して愛執を持つことなく、
さらに唯心の(いま観ているすべては自分の心と観る)うちに本尊を観ずる。
しかも、とらえどころのないこと、空で執れを離れていき、
ついに主と客、内と外、修行者と本尊の二相の相対を離れた絶対無相の本尊の身と同体となり、
我々と仏が一体であることを体得する道すじである。
【原文】
六無畏とは要約していえば、
真言行者、
曼荼羅の中の本尊に帰命し、その三密門を修するとき、
本尊をば客観に見、
主観に見、
ついに主客を絶せし、如来の真身に契証するに至る信念向上の歴程である。
すなわち本尊を心外に見、
しかも無相無自性の観に住し、
その本尊に愛執を生ぜず、
さらに唯心のうちに本尊を観、
しかも無自性の理に住して執を離れ、
ついに主客、内外、能所の二相を離れたる絶対無相の如来金剛の身に同じ、
生仏一体の真趣を体する道程を明かせしものである。